日常の見えない緊縛

★あなたは普段の暮らしの中で、どれくらいの自由を感じられていますか?

仕事ではやはり自分の自由には出来ないでしょうか…

人間関係ではどうでしょう。友達、恋人、家族…

好きなこと、例えば趣味の分野は? 釣り、車、ゲーム、楽器、自転車、ダンス…

服の好み…… なども、自分が自分の意思で、どのくらい自由に着たいものを着れているかの目安があって、そこをどのくらい守ったか、踏み外したかをすることで、最近の自分の自由に対するスタンスを計っているかもしれませんね。

私たちは日常の生活の中で、どのような暮らし方をしていても、そこには必ず一定の自由や不自由に対する判断基準を持っています。

上記は、ほんの一例に過ぎませんが、人間は普通に過ごしていても、これはちょっとやりにくいなと感じたり、その逆に率先して取り組んだりして、あるいは仕事に、あるいはプライベートに、満足や不満を感じながらも、思いおもいにすごされているのではないかと思います。

しかしちょっと考えてみてほしいんです。

いずれにしても、そういったことは本当に純粋にあなたのやりたいことなのか?

★『自分の現実を人に触らせない、ということ。』

これは、どんなことでも、他人に、自分のいま見ている状態のすべてをコントロールされないようにする、という意味をもちます。

先にあげた、趣味や人間関係、服の好みは、これを推奨してくる人によって、あなたの世界を、その者の趣味趣向へと変えられてしまう可能性をはらむものです。

もちろん、これらの分野はほんの一例なのは言うまでもありません。

どのようなことでも、自分のいま見たり聞いたり感じたりしている世界を、誰々がこう言ったからという理由で、それを無批判に簡単に採用することは出来るだけ控えることをお勧めします。

その上で、「これマジでカッコイイ!」とか、憧れのアーティストの新譜が「めっちゃイイ」とか、それを好んで受け入れることは一向にかまいません。

それこそ自由にです。

ですがこういう場合は注意が必要です。

それは、あなたを「こいつを使って金を儲けるぞ」ですとか、誰かがあなたを自分の利益のためだけに使おうとする時です。

あなたが、他人が提示する何かを無批判で受け入れる時、それがあなたにとって良い情報か悪い情報かを判断する術を最初から放棄させられることになります。

以前もお伝えしましたが、自分がいま見たり聞いたり感じたりしている世界を、不用意に他人の思惑に譲り渡さない(指図.指示を素直に受け入れない)ことが、それを防ぐ最初の最善の方法になります。

これは、端的には洗脳を未然に防ぐことであり、また同時に、自分の世界は自分の思い描いた通りに創り出すことも可能であることを是非知って頂きたいと思いお伝えしました。

洗脳と言われてもピンとこないかもしれませんが、古くは日本も経験した先の大戦やオイルショック(コロナ禍においてもありましたね)、バブル期の国民の騒乱、竹の子族(今の若い方で知っている人はいますでしょうか)ルービックキューブ、イカ天…、

比較的新しいところでは、冬ソナ、ポケモン、プレステ、タピオカ‥ などでしょうか。

これら含めたあらゆる領域に渡る事やものが、実はごく少数の者たちによって、そのきっかけをつくり出されたものであり、伝播の仕方こそ違えど、その本質は、人が人を支配しようとする意図が背景にあり、その多くは自分たちだけの利益の追求のために人を意のままにしようとするものです。

これらの多くは、経済的な側面を持ち、実際には人のために役立つ側面を持ち合わせているのも事実です。

しかし、戦争などでも分かるように、そのために何千何万もの人々の命をも奪っていった事柄も含まれていることを認識しておくべきです。

やや大仰になりましたが、ここから、利益と損害とのバランスへの意識、そして最も重要な自分自身の目指すところがあるのであれば、そこは不用意に他人に触らせないことを常に念頭においておくことがとても重要になると思います。

簡単に言えば、どんな人に何を言われたとしても、それが自分にとって純粋に“違う“と思ったならば、勇気をもってそれを聞かない、ことです。

さらに言えば、あなたはあなたの本当にやりたいことをやる、ということになります。

いつでもあなたを応援しています

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